東山山中 茶花の咲く花畑(初夏編)と新緑を愛でる菓子-寺町今出川「花フジ」生花店/紫野源水「目に青葉」-[京の暮らしと和菓子 #35]
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栗本 徳子/高橋 保世
令和3年5月、緊急事態宣言は延長に次ぐ延長で、ついに6月20日まで続くことになりました。この間の医療関係者の献身的な医療従事には、まことに頭がさがる思いです。また新型コロナ感染症の罹患によって、言いようのない苦しみ、悲しみにあわれておられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
まさに未曾有の危機の只中にいることを強く意識するとともに、昨年来のこの1年を思いおこしている今日この頃です。
ちょうど昨年の5月は、まだ新型コロナ感染症にどう対処すれば良いのかもわからないまま、今以上に厳格な自粛生活が強いられている状況でした。大学では遠隔授業への切り替えを模索し始めたばかりでもありました。
止まることが許されない教育現場としての大学は、昨年秋以降、新型コロナの感染対策を講じながら、できることに取り組むということが求められ続け、少しずつではありますが、その難しい舵取りに挑戦してきました。
一年前の、何をどうすれば良いのかわからず、息を詰めて見えないウィルスに怯え、その方途を探していた時の感覚と、今は少し違ってきていることを感じています。遠隔授業の充実をはかり、実習系の授業は、感染対策を徹底しながら対面での取り組みも進めています。不安と強い緊張を常に抱えての試行ですが、前を向いて進もうという意志は固まっています。
しかし、京都全体を見渡すと1年以上に及ぶ新型コロナ感染拡大の影響は、あまりにも大きな犠牲を人々に強いることになっています。
これまで見たこともない閑散とした街の様子に、心が痛みます。また、祭りや年中行事の縮小化や中止は2年目を迎え、その継承に危機感も叫ばれています。
私が大切に思ってきた「京都の暮らし」は、どのように立ち直っていくことができるのか、予見できないことに不安が募ります。
昨年の春、強い閉塞感から逃れるように、カメラの高橋さんと一緒にひと気のない東山山中の花畑に、時季の花や緑を求めて通っていたことが、改めて鮮明に思い出されます。その自然に包まれた時、どれほど心が救われ、前を向く勇気をもらえたことか。
昨年12月末の本ブログで、2月から4月の花々と「鎌餅」をご案内したので、そちらをお読みいただいた方もあるかもしれません。
今回、高橋さんのカメラの力を借りて、この新緑5月の山中で密やかにしかし強かに生命の刻を進める草花を、再びご紹介したいと思います。
その季節の営みが今日もまた、私たちを励ましてくれるのではないかとの思いからです。
そして、季節の和菓子は、眩い新緑を取り上げた紫野源水さんの今年の新作「目に青葉」をご紹介したいと思います。こうしたコロナ禍にあっても、新作を試み続けておられる源水さんの心意気にも打たれ、またその上品で絶妙の仕立てをぜひ取り上げさせていただきたいと思いました。
1.花フジさんの「秘密の花園」と茶花
さて、季節を鮮やかに見せてくれるその場所は、花フジ生花店の茶花を栽培する花畑でした。12月のブログでもご紹介しましたが、寺町今出川にある花フジ生花店は、一般の生花だけでなく、華展のための花材や今回特に取り上げる茶花の品揃えでも定評のある京都らしい生花店の一つです。
改めて説明しますと、生花市場から季節を問わず供給される、大きく艶やかな花卉(かき)類と違い、茶席に用いられる「茶花」は、山野などで咲くささやかな花や実が愛好されます。
茶室の床に用いられるその花は、茶会の中で季節を生き生きと感じさせる重要な役割を持ちます。一期一会のその場に選び取られた花には、蕾がふわりとほどけて咲きかけたばかりのものや、みずみずしい葉をそなえた、いかにも適時に切りとられた姿が求められます。
その調達の難しさは、言うまでもありません。一輪のために、いくつも集めたものの中から選びとられるものであり、早朝に頃合いの花を摘みに行かねばならないこともあります。
そうした茶花の品揃えのために「花フジ」さんを支えるバックヤードが「山の花畑」なのです。前回にも断りましたように、その場所の詳細は明かせませんが、私が勝手にそう呼んでいる「秘密の花園」から、今回は、昨年の5月、そして今年の再訪で出会った美しく凛とした茶花を中心に初夏の様子をご覧いただきたいと思います。
2.緊急事態宣言下の2020年5月11日 山の花畑へ
手つかずの空ありて夏立ちにけり 伊藤通明
昨年5月4日、緊急事態宣言の延長が決まり、安倍首相の記者会見が開かれました。翌日5月5日は二十四節気の立夏を迎えて、いよいよ初夏へと季節は移っていこうとしていましたが、季節を確かめることも憚られるような自粛生活が続いていました。
そんななか、多少の罪悪感を持ちながら、5月11日、爽やかに晴れ渡った朝、高橋さんとともに山の花畑に出かけたのでした。
4月には芽吹いたばかりの若い新緑を見たのですが、さらに新緑の色が鮮やかとなり、山には眩しい日差しが溢れておりました。その光を存分に受けて咲く花、また木々の下に半日陰を好んで咲く花々も、次々に咲きそろっておりました。山の草木はまごうことない初夏の色を湛えていました。
3.日向に咲く花々
4月の下旬にはまだうす緑色を帯びていた小さな「大手毬」が、実際の手毬くらいにまで大きくなり、溢れんばかりに育ちました。僅かの日数で、たちまちに旺盛な花盛りになっていることに、不自由な人の世には関わりなく、自然の歩みの力強さを感じたものです。花の重みが枝を撓めているようにさえ見えます。
かたむきて傾く雨のおほでまり 八木林之助
淡いピンク色の大手毬を知ったのは、この時が初めてでした。こちらは少し小ぶりの手毬ですが葉の色にも少し赤みがあるために独特の趣となっています。
日当たりの良いところに見つけたのが、突貫忍冬(ツキヌキニンドウ)です。
その名の由来は、花の直下の葉だけが一枚の丸葉のように合着して、その真ん中から花茎が伸び出していることから「つきぬき」とされ、花はスイカズラ(忍冬)に似ているからこの名で呼ばれます。
辞書などに出てくるのも「つきぬき」なのですが、私がお茶のお稽古を始めた50年近く前のお稽古場では「つらぬきにんどう」と呼んで、この時期にはよく茶花として使われていました。
花が丸葉を貫いているようなこの不思議な姿には、「つらぬき」の方がしっくり馴染んでいるように思えて、私は頑固に今も「つらぬきにんどう」の名を使い続けています。久方ぶりに出会った「貫忍冬」に、ふと思い出すことがありました。
大学生の頃、美術史でギリシアに起源を持つパルメット唐草文が飛鳥時代の装飾文にも見られ、「忍冬文」と呼ばれていると学んだ時、当時スイカズラを見たことがなかった私は、可笑しくも、この「貫忍冬」の花を「忍冬文」の文様に重ねて、独り合点をしていたのでした。
そして、貫忍冬の近くで揺れていたのが、九輪草でした。
九輪草茎まつすぐに花の塔 池部久子
九輪とは寺院の塔の先端にあたる相輪の、九つ重ねられた輪の飾りのことを指します。写真では、これからまだもう少し花茎が伸び上がっていく途中の姿ですが、長い茎に花を段に並べた様子からこの名があります。
そういえば、古い寺院の塔が遺っている奈良に住む義母が、かつて、この花と謂れについて初めて教えてくれたのでした。
せせらぎをわかてる岩に九輪草 水原秋櫻子
この句のように川辺や湿地に自生するようなのですが、若い頃から山野草を求めてよく山歩きをしていた義母なので、山中の思わぬ場所で、この愛らしいピンク色の花に出会った時の喜びが、熱っぽいその語り口から伝わってきたものでした。
4.半日陰に咲く茶花
隠者には隠のたのしみ花えびね 林 翔
ひと月前の4月11日には花芽だけの小さな株だった海老根蘭(エビネラン)が、見事に花を咲かせていました。
茶花には、まさしく隠者のようにひっそりと半日陰で育ち、ひとときの花が、その在り処を教えてくれるようなものが多いのですが、海老根蘭は、暗い林にまるで光を灯すように凜とした佇まいで花咲いていました。
やはり半日陰に咲きそろっていたのが、丁子草(チョウジソウ)です。花の形が香料の丁子(クローブ)の花に似ているからこの名があると各書に書かれますが、筒状の蕾の姿ならまだしも、青い星型に開花した姿は全く似ても似つかぬ清楚さです。
茶花としても愛好され栽培されますが、自生の丁子草はじつは絶滅危惧種となっているそうです。子規が「甘そうに」と詠んでいますが、毒性のある植物でもあります。
子規には、漢名の「水甘草(スイカンソウ)」のイメージが重なっていたのでしょうか。
5.黒い茶花-黒花蝋梅(クロバナロウバイ)と黒百合(クロユリ)
茶席では、楚々とした白や柔らかな薄い色目の花が多いのですが、その理由は、茶室の暗さにも起因しています。窓も少なく、時には目が慣れてくるまで何もかもが薄暗がりにあるといった茶室さえあります。
しかし近現代の茶室では、開放的で照明具も備えられた明るい空間も増えてきました。こうしたなかで、新しい花の色の趣向も生まれてきたのです。それが黒い花々です。
1月頃に甘い香りで咲く黄色い蝋梅(ロウバイ)と同じくロウバイ科に属しますが、暗紅褐色の花を5月につける黒花蝋梅は、北米原産です。日本には明治中期に渡来したとされる植物ですが、今では茶花としてすっかり定着しています。
もう一つ見つけました黒い花。黒百合(クロユリ)がひっそりと咲いていました。
花弁に網目模様がある俯き加減の花姿は、早春の貝母百合(バイモユリ)にも通じますが、何と言っても暗紅褐色の花が侘びた面持ちを湛えます。
本来は高山植物であることからその珍しさも、茶花の趣向のひとつとなったのでしょうが、白い花などと合わせることで、また互いを引き立たせる花材ともなるので、好まれて栽培されるようになっています。
花畑として栽培されているものと知りながらも、山中で咲いている姿に出会えて、ひときわの感激を覚えました。
6.半日陰に咲く白い花
-白糸草(しらいとそう)と吉備一人静(キビヒトリシズカ)
この時期にことに趣きのある白い花があります。白糸草と一人静です。花フジの奥様も「私、白糸草が大好きなの」と、おっしゃいます。
細長い白いブラシ状の花穂が、群生して風に揺れている姿にもそそられるものがありますが、こんなささやかな花が、切り花で他の花と合わせて茶席に置くと、互いを引き立て、なぜか途端に存在感が出てくる不思議な花でもあります。
先ほどの黒百合などともとても相性の良い花となるのです。
花穂ひとつ一人静の名に白し 渡邊水巴
これほどささやかな花があるかしらと思えるのが(ヒトリシズカ)です。その名は、追われる義経と離別することになった悲恋の静御前の逸話に由来し、春の季語ともなっています。
すでに前回4月にご紹介しましたように、葉が出たばかりの時に花穂がつくごくごく小さなものです。
それよりひと月遅れた時期に、沢近くの半日陰で隠れるように咲いているのを見つけたのが、吉備一人静(キビヒトリシズカ)です。こちらは葉が出揃ってから、ゆっくり花穂を出すので、葉の緑と白い花糸がコントラストを見せて、ささやかながらも存在感を持つ一人静です。これも、そう容易くたまたまの山中で出くわす花ではありません。
花フジさんの丹精で、山の適所、適所に植えられた草々が、ひっそりと咲きそろっている花畑。花を探しては、見つけるたびに思わず「あっここにも」と感嘆の声をあげながら散策するうちに、ゆっくりと深く癒される時間となっていました。
7.2021年5月13日 再び 東山山中の花畑へ
今年の5月の花畑はどんな様子だろうかと、昨年と近い13日に、高橋さんと訪ねることができました。今年は、いずれも花の時期が相当に早く、我が家でもいつもの花が数週間早く咲いてしまうような春からの様子でしたが、山の花畑も、昨年と同じものは、大手毬と黒花蝋梅くらいで、ほとんどの花は花期を終えていました。黒花蝋梅も、大きく開いた花姿となっていたのです。
さて、今年は「承久の乱」から800年の年。じつは「都忘れ」というこの花は、承久の乱で敗れ、隠岐島に流された後鳥羽上皇に因むものと言われています。
後鳥羽上皇は、失意のうちに隠岐島で18年間を過ごし、京都に帰ることなくその地で崩御されることとなったのです。火葬された御遺骨は、侍者によって都に届けられ、それが埋葬された地が大原でした。現在、勝林院の脇にある大原御陵が、その陵墓とされます。陵墓の山辺に咲いた花が、この「都忘れ」だったと言います。
薄紫色のものが、大原に咲いた原種とされますが、今では品種改良された濃い紫色の「都忘れ」がよく作られています。
山の花畑では、どちらの色の都忘れもありましたが、どこか物悲しい風情の漂う春の菊です。
また今年は、去年には出会えなかった花2種を発見しました。
それは白花の鯛釣草と先代萩です。去年は赤い鯛釣草を4月に見かけたのですが、今年は赤いものはすでに終わっていて、見頃の花をつけていたのは白花でした。少しユーモラスのあるまさに鯛を彷彿とする赤花の姿とは違い、なんと上品な愛らしさでしょうか。
茶花としては、こちらの方が愛好されるのも納得です。
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もともと本州北部や北海道などの海岸に自生していたものですが、宮城県の仙台に、そして歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に因んでこの名が付けられたと言います。
仙台藩の御家騒動を題材にしたものですが、我が子を犠牲にして主君を守る乳人、政岡の忠節を描いた、これも切ない物語です。謂れを知ってからみると鮮やかな黄色い花にも、違った印象が生まれてくるのが不思議です。
新緑の山には、山藤が木々を覆うようにたくさんの花をつけ、山法師(ヤマボウシ)がつつましく花を並べていました。
今年もまた、季節を彩る草木の横溢な生命力が、私たちに自然の豊かな営みを変わらず教えてくれる、そんな大切な時間をいただくことができました。
8.新緑を愛でる菓子「目に青葉」
いかがでしょう。初夏の山野を満喫いただけましたでしょうか。ここからは、5月ならではの意匠を凝らした和菓子をご紹介します。
先ほども書きましたたように、これは今年の新作としてできたばかりの上生菓子です。
外郎(ういろう)皮に、楓の葉を象った薄い羊羹を白小豆の粒餡とともに包み込んだものです。
白い外郎皮がうっすらと新緑色の楓を透かす仕立てが美しく、如何にも京都らしい趣向です。外郎皮という必ずしも透明感の高くない素材で包み、敢えて楓の一葉をぼかして見せることで、むしろ新緑を渡る風のような爽やかな空気とでもいうようなものを感じさせてくれます。
じつは、これを撮影で再現するのはたいへんだったことを告白します。何度も高橋さんに撮り直しをしてもらいつつ、肉眼で感じるところへ近づけていったのでした。
気軽にスマホで写してインスタ映えするというものとは、ほど遠いもの。わかりやすい表現を嫌う京都の和菓子の真骨頂と言えるかも知れません。
おそらく紫野源水さんのご主人井上茂さんには、叱られてしまうかもしれないなと思いつつ、中に包まれている羊羹の楓を取り出してみました。
普通に口にすると、包まれたままで決してその姿を表すことなどないもので、それで良しとして仕込まれている楓の葉は、繊細な葉の縁まで型抜きされたあまりにも美しい作りでした。
ご主人のこだわりに心底感服しながら、「目に青葉」を口にいたしました。
外郎皮の程よい硬さと肌理の細かいさらっとした滑らかさ、私の大好きな感触です。私は、このさらっとした感触から、初夏にこそ外郎皮という素材が合う季節はないのではないかと勝手に思っています。
そこに楓の羊羹の甘みと、それよりあっさりした白小豆の粒餡が絶妙の甘さ加減を作り出します。なお心憎いのは、滑らかな外郎皮の後に、白小豆の粒餡にある皮の強さが混じり合うとき、新しい食感にたどり着くところです。
令和3年の5月、新緑を愛でる思いを形にした和菓子は、心を解けさせてくれる口福を届けてくれました。
花フジ
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紫野源水「目に青葉」
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*本稿は、『瓜生通信』2021年05月31日公開の【東山山中 茶花の咲く花畑(初夏編)と新緑を愛でる菓子-寺町今出川「花フジ」生花店/紫野源水「目に青葉」】-[京の暮らしと和菓子 #35] の一部を編集し転載しています。
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