「からむしの里」の技と心に触れる [収穫祭 in 奥会津昭和村]
通信教育課程では全国津々浦々に在学生や卒業生がいることを生かして、2000年度より在学生・卒業生・教員の交流と学びを目的とした「秋の収穫祭」という催しを開いています。その名のとおり、2018年度までは実りの秋に各地より厳選した4会場において実施されてきましたが、2019年度からは秋だけでなく1年を通して8会場で開催しています。
収穫祭では、全国様々な地域の特色ある芸術文化をワークショップや特別講義を通して紹介することや、公立私設を問わず美術館や博物館の社会への取り組みや発信、また開催中の展覧会を鑑賞することなどを行っています。
今回、7月31日に昭和村で行われた収穫祭について、担当した栗本徳子教員と、本収穫祭を企画し当日も案内を務めて頂いた卒業生、須田雅子さんからの現地報告をご紹介します。
「はじめての昭和村」 -日本の原風景を残す里の美しき手仕事
文・歴史遺産コース教員 栗本徳子
昭和村収穫祭の計画は、2年前に始まりました。
芸術学科会議で、芸術学コースの金子典正先生から、卒業生の須田さんが「昭和村での収穫祭、企画できますよ」と言ってくれていますとの情報をいただいたのです。私は即座に「その企画、学生委員会で芸術学科の推薦として出していいでしょうか?」と飛びついたのでした。
じつは、本企画の実施にたいへんなご尽力をいただいた須田雅子さんと私の当時の接点は、フェイスブックだけでした。須田さんは卒業研究のテーマとされた「からむし」の産地「昭和村」に移住されてから、その美しい自然や暮らしを、いつもフェイスブックで紹介されていました。
もともと染織の記事に関心を持っていたことから、からむしの里・昭和村からの卒業生の発信に興味津々だったのですが、いつしかその柔らかな感性で綴られる記事と抜群のセンスで写し出される「昭和村の日々」に、すっかり虜となっていました。
須田さんが在学当時には直接のお知り合いではなかったのですが、フェイスブックの縁ですぐにご連絡をとらせていただきました。早速届いた須田さんの詳細な計画のおかげで、学生委員会でもとんとん拍子に話が進み、2020年の収穫祭のひとつに採用決定となりました。
ところが2020年、コロナの感染拡大が始まり、ついに夏期までの収穫祭はすべて中止となってしまいました。そのリベンジとして今年度、再び収穫祭に選ばれた「昭和村」ですが、コロナの状況はまだ厳しく、参加人数も絞っての実施となりました。
7月には、コロナの感染者数が都市部で再び増加傾向となるなか、地元への折衝をはじめ、とくに感染防止策を考慮した5人の小グループに分けての見学場所巡回など、念入りな計画を立て直して下さったのも須田さんでした。その行動力と実行力には頭の下がる思いで、私は現地「昭和村」に前日入りしたのでした。
会津田島駅まで車で迎えに来てくださった須田さんと村に入るなり、「からむし剝ぎ」をするおじいさん、「からむし引き」で繊維を取り出すおばあさんと出会いました。その方々と須田さんとの親しい会話のやり取りで、須田さんがどれほどこの村に溶け込んでおられるのかが伝わってまいりました。
そして傍にいるだけの私にまで、いろいろな村の方々が心安く接してくださるのでした。昭和村を様々に発信し続けておられる須田さんのことを
「この人のためなら、なんでもしてあげようと思うのよ」
と言われた女性の言葉からは、確たる思いが伝わってきました。
「この人ありて、この収穫祭あり」との感慨を深めながら、翌日の収穫祭を迎えました。
当日は34度にまで気温が上がる酷暑となりましたが、時折吹く田畑を渡る風はカラッとしていて、爽やかな涼気を運んでくれます。会津田島駅で貸切大型バスに乗り込んだ参加者は13時前に「道の駅からむし織の里しょうわ」に着き、現地に先に入っていた参加者と合わせて18人が当日参加となりました。
この道の駅にある「からむし工芸博物館」と「織姫交流館」で、からむしの歴史や基礎知識、そして村の人々が生み出したからむしによる織物や編み物などに触れることができました。
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そしていよいよ、「からむしの刈り取り」と「からむし剥ぎ」、「からむし引き」を実見するためにバスで「大芦(おおあし)」へと移動しました。
ここでは特に〈昭和村からむし生産技術保存協会〉の皆川吉三会長が、炎暑のなか、自ら畑での刈り取りをし、茎の表皮を剥ぐ「からむし剥ぎ」を見せてくださり、作業場では、織姫さんたちが、さらにその表皮を「からむし引き」して、繊維を取り出すところまで見ることができました。
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「からむし」の引いたばかりの青みのある乳白色の繊維には、村の方々が「キラ」と呼ぶ、内から発せられるような光沢が宿っています。この引き立ての繊維を見られるのは、夏の土用入りからお盆前のこの時期だけとのことなのです。
手早く、しかも繊細なその手仕事の技を見ていると思わず引き込まれ、いつまでも見ていたいような感覚に陥ります。
収穫祭の最後に、「まとめ」のお話を、須田さんと皆川吉三会長からいただきました。おふたりともに、からむしへの熱い思いを語ってくださったのですが、その話の最後に皆川会長が、一拍おいて語り出されました。
「九十六歳の方が、もう来年はからむしの仕事はできないと覚悟を決め、秋に保存協会を辞めると言ってこられたのです。しかし春になって、からむしの芽が出始める頃、やっぱりもう一度、やりたいと言ってこられた。私は、からむしに生かされているのだと。」
これを聞いたとき、村の人々とからむしとの真の関係をありありと見た思いがいたしました。
こうした方々とこの地に惚れ込んで根をおろそうとする須田さんの真摯さに、またこの村の方々が応えてくださっている、そんな幸せな関係のおこぼれを、私たち収穫祭の参加者みんなが頂戴した貴重な一日であったと思います。
須田さんと昭和村でお世話になったすべての方に、心より御礼申し上げます。
(文:芸術学科 歴史遺産コース教員 栗本徳子)
奥会津昭和村のからむし
文・須田雅子
福島県の南西、奥会津という山深い地域に位置する昭和村は、イラクサ科の多年性植物「からむし」(苧麻:ちょま)の生産地として知られています。この村が “知る人ぞ知る” 村であるのは、昭和村産のからむしの繊維が、ユネスコ無形文化遺産に登録されている越後上布・小千谷縮布の原料であること、そして、からむしの繊維を裂いて糸を手績みし、機で織るという、気の遠くなるような営みが今も続けられていることが理由として挙げられます。昭和村は織物(特に自然布)に惹かれる人にとっては、一度は訪れてみたい場所の一つなのです。
からむしを原料とする上布は沖縄の離島、宮古・八重山地域にもありますが、それらの地域では、布に織られた状態が完成形であるのに対し、昭和村では、からむしの繊維が製品としての完成形となります。そのため、繊維そのものの美しさを最大限に引き出すために特別な努力が払われています。茎から表皮を剥がす工程にも、表皮から靭皮繊維を取り出す工程にも、村の人たちは、自らの技を磨き、真摯な思いでからむしに向き合います。からむしの良質な繊維が生み出される背景には、植物と人との内奥での密やかな交感があり、昭和村ではそうした営みが江戸時代から続けられてきたのです。
村の人たちの協力を得て
今回のフィールドワークは、熱中症対策のため、室内で過ごす時間も取り入れました。大芦区長の五十嵐喜久男さん(工房風雲)には、拠点とした大芦保健福祉館で「大芦の手仕事展」を開催していただきました。また、地域の文化・情報発信地で各種勉強会も開催する「ファーマーズカフェ大芦家」もコースに加えさせていただきました。4つの小グループの誘導には、昭和村役場 観光交流係の山内翔吾さん、友人でイラストレーターの涌井加奈恵さんに、また、からむし工芸博物館での解説には地域おこし協力隊の松尾悠亮さんにご協力いただきました。ありがとうございました。
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フィールドワークを行った大芦集落では、戊辰戦争で鶴ヶ城が落城した二日後に官軍と会津藩の戦いがありました。官軍兵士の墓をコースに入れることで、集落を歩きながら村の歴史にも触れていただきました。
今回は、時間の関係で分刻みのスケジュールとならざるを得ず、参加者のみなさんには慌ただしい移動にお付き合いいただくことになりました。昭和村を再訪する際には、是非ゆっくりお越しいただけたらと思います。
さて、8年に及ぶ通信大学生活で、私が最も惹かれたのは「地域学」でした。移住前には知らなかったことですが、昭和村は「会津学」の生まれ故郷であり、大学卒業後も地域学を学び続けるのに最適な土地でした。この土地の魅力を知り、「また来たい」と思ってくれる人がひとりでも増えることを願っています。
卒業生便り:『地域学』を生きる
https://www.kyoto-art.ac.jp/t-blog/?p=81629
今秋には昭和村の人の聞き書きを本にしたものを、歴史春秋社より出版予定です。これからもいろいろと取り組んでいきたいと思っています。
(文: 通信教育部 芸術学科 芸術学コース 2016年度卒業生 須田雅子)
*本稿は、『瓜生通信』2021年08月26日公開の【「からむしの里」の技と心に触れる [収穫祭 in 奥会津昭和村]】edited by:京都芸術大学 広報課 の記事の一部を編集し転載しています。
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